昭和とは遠きにありて思ふもの

音楽と旅が好きなおっちゃんが、気ままに書いています。

この空を飛べたら

近所にあるボールなどが飛んで出ていかないように設置してあるネットに、毎日夕刻になるとムクドリが集まってくる。
みんな顔なじみ。
おそらく同じ木をねぐらとしているのだろう。
住処に戻る夕暮れ前のひととき、ガールズトークに花咲かせているのだろうか。
鳴き声がかなりうるさく害鳥とされるが、かのモーツァルトはムクドリをペットとして飼育して、彼の作曲したピアノ協奏曲第17番の第3楽章には、そのムクドリのさえずりを基にした旋律が主題として用いられているといわれる。(ただし、ホシムクドリという種類で日本のものとは少し違うようだ。)


空を見上げて、鳥のように空を飛べたらなあと思ったことがあるだろう。
ジブリ作品の多くは、主人公が飛ぶというシーンが象徴的に描かれる。
『風の谷のナウシカ』(84)、『天空の城ラピュタ』(86)、『となりのトトロ』(88)、『紅の豚』(92)、『魔女の宅急便』(89)、『千と千尋の神隠し』(01)、『風立ちぬ』(13)など。


【映画予告編】『風立ちぬ』劇場予告 完全版|The Wind Rises (Trailer Full Ver)Movie Trailer 210sec #スタジオジブリ #宮崎駿


また、「乗り物で飛ぶ」ということではなくても、走るシーンなどで完全に重力無視の跳躍シーンや、落ちそうで落ちないシーンなど印象に強く残っている。
主人公の自由な心を表現している。
また、観客に作品世界の広がりを表すためだとも言われている。
作品を作っていく中で、その人の持っているあるキーワードから導きだされる心の奥底に眠っている原風景が、宮崎監督「飛ぶ」ということがその一つなのだと思う。
宮崎監督は、一族が経営する
「宮崎航空興学」の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、東京市で生まれる。
生家が航空機産業に関係していたことで、幼いころから“空を飛ぶこと”に憧れていたという。
「風立ちぬ」
では、戦時中に零戦を設計した堀越二郎という「実在の人物」をモデルにした。
ジブリとしては初めての試みだったという。
宮崎作品ではその多くがあり得ない乗り物が登場する中、零戦という具体的な乗り物が登場した。
関東大震災や、昔は不治の病とされた結核など具体的な事例も盛り込まれている。
鳥のように自由に空を飛びたい、風になりたいという願望は、様々な音楽にも表されている。
THE BOOM 風になりたい


ザブーム
「風になりたい」は、1995年に発表されたこの曲は、ボーカルの宮沢和史が「日本のサンバを作りたい」とのヒラメキで、多数のパーカッションを使用。
オリジナルアルバム
「極東サンバ」からシングルカットされ、4ヶ月近くヒットチャートにもランクインしていた。
現在までに世界中でカヴァーされており、その人気は未だ根強い。


生まれてきたことを 幸せに感じる
かっこ悪くたっていい あなたと風になりたい


「風立ちぬ」のテーマ曲となった荒井由実さんの「ひこうき雲」はデビューアルバムに収録され、、2枚目のシングル「きっと言える」のB面曲であった。
自殺した友達のことがモチーフとなって作ったと言われている。
やや古い録音のためか少しノイズを帯びた空間の中で、ユーミンの声が少し若い。
バーニー・グランドマンによるデジタルリマスタリングで音質を大幅に向上したリマスタリングCDが2000年に発売された。
ひこうき雲 - 荒井由実(松任谷由実)


白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない
そして舞い上がる


空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲


いまや教科書でも取り上げられて、国民的な歌となっている「翼をください」は、フォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に「竹田の子守唄」のB面曲として発表した。
もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であったという。
赤い鳥 翼を下さい(ライヴ)


南野陽子さんは、一番好きな曲として公言しており、赤い鳥の元メンバーである
山本潤子
さんが登場してこの歌を歌ったときには涙ぐんでいたのを覚えている。
「赤い鳥」はその後「紙ふうせん」「ハイファイセット」に分離した。
「赤い鳥」の路線を踏襲した「紙ふうせん」に対して、ジャズやポップスに路線転換した「ハイファイセット」という感じがある。
メンバーのひとりである山本潤子さんは、赤い鳥解散後、この歌を歌うことを封印していたが、やがて合唱曲となるなど曲が広がりを見せ、娘さんまでもが知る歌となったことで、再び歌うことを決意したという。


この青空に翼をひろげ
飛んでゆきたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせゆきたい


「この空を飛べたら」は、フジテレビ系ゴールデンドラマシリーズ「球形の荒野」の主題歌として、作詞作曲は中島みゆき、歌は加藤登紀子という夢のような組み合わせで誕生した。


この空を飛べたら [ 加藤登紀子・中島みゆき] dancer-Sela&hoya


加藤さんがテレビで「世界歌謡祭」のグランプリを受賞した中島を見て惚れ込み、ヤマハ音楽振興会に電話を入れて中島に会わせてもらい、曲を依頼したという。
中島さんのアルバム『おかえりなさい』で、中島さん本人のセルフカバーを聞くことができる。
自分の元を去っていった絶望を、飛んで行ってしまった鳥(彼)と、決して飛ぶことのできない自分とに対比させて描く中島さんの詞は、言い方は変だが、悲しみが美しい。
決して絵に出来ない絵を見ているようだ。


  空を飛ぼうなんて 悲しい話を
  いつまで考えているのさ
  あの人が突然 戻ったらなんて
  いつまで考えているのさ


  暗い土の上に 叩きつけられても
  こりもせず空を見ている
  凍るような声で 別れを言われても
  こりもせずに信じてる 信じてる


  ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
  こんなにも こんなにも 空が恋しい

愛の奇跡

今年日本に接近または上陸が予想される中では最大級の台風18号が、沖縄本島地方は通り過ぎたため解除されたが、「特別警報」なる不気味な言葉を初めて聞いた。
「数十年に一度の、これまでに経験したことのないような、重大な危険が差し迫った異常な状況にある」場合に発表される警報で、気象庁が2013年8月30日に運用を開始したという。
台風は日本では番号表示になっているが、台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていたが、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになったとのこと。
従って今回の台風18号の公式名は「チャバ」である。
サンフランシスコ講和条約の発効により独立回復を果たすと、このような台風の呼び方をやめてしまう。以後、その年に発生した順の番号で呼び方のみ使用している。
台風はちょっといただけないが、野球選手の背番号18番はエースの証。
桑田真澄(元巨人)、松坂大輔(ソフトバンク)、田中将大( ヤンキース)らが背負った輝けるエースナンバー。
歌舞伎の十八番に由来するという説もあるが、18番という系譜自体がない球団もある。

DeNA 三浦大輔 これぞベテランの投球術!ピンチで柳田を見逃し三振、無失点に抑える 6月3日


横浜ベイスターズのエースナンバーと言えば、先日引退した「ハマの番長」
三浦大輔投
手である。


私は個人的には広島ファンであり、横浜在住でもないので、あまり実感が沸かないのだが、三浦投手は常に横浜を愛し、横浜に愛され、横浜一筋「横浜大洋ホエールズ」「横浜ベイスターズ」「横浜DeNAベイスターズ」に在籍して1998年のセリーグ優勝を体験した最後の選手でもある。


最小失点に抑えているのに勝利投手にならないことも多々あったが、決して回りを責めたりせず、「自分が打たれたからだ。」とのコメントを出す「男気」も人気のひとつだろう。


矢沢永吉さんのファンであり、リーゼントで決めた姿から「ハマの番長」と呼ばれる。


横浜にとっての三浦投手は、広島にとっての
黒田投手
のような存在なのだろう。


【懐かCM】 タッチ 背番号のないエース 4月12日東宝系にて公開 (1986)


劇場版
「タッチ」
の主題歌、
ラフ&レディ

「背番号のないエース」
をふと思い出す。


台風の風や雨は、甚大な被害をもたらすものであまり歓迎されないが、夫婦デュオの爽やかなハーモニーという風なら大歓迎だ。
先日「ハンバートハンバート」の特集をテレビで見た。
少しユルい感じながら、佐藤良成さんの書く詞は少し悲しみがあり、彼らにしか出せない味わいがある。


おなじ話 / ハンバートハンバート


「おなじ話」の出だし


どこにいるの 窓のそばにいるよ
何をしているの 何もしてないよ
そばにおいでよ 今行くから待って
話をしよう いいよ、まず君から


夫婦デュオといっても、多くの場合最初はレコード会社の戦略としてコンビを組み、やがて結婚するというケースである。
チェリッシュの場合、もともと名古屋でバンドを組み、1971年に第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをビクターレコードにスカウトされる。
1972年からデュオとなり、その後、1973年に代表曲となる「てんとう虫のサンバ」がヒットした。
1977年に結婚した。
ダカーポの場合は、栃木県出身の久保田広子さんが実家のスーパーを継ぐために、修行として横浜のスーパーに勤務していたとき、たまたま「歌の仲間募集の広告」を見て、榊原まさとしさんの実兄が営む「サカキ音楽研究所」を訪れたことから二人が出会った。
1974年「結婚するって本当ですか」が60万枚を超える大ヒットとなる。
1980年に結婚した。

「野に咲く花のように」ダ・カーポ


フジテレビ系列で放送された「裸の大将放浪記」のテーマ曲となった
「野に咲く花のように」
は有名である。


しばらく娘さんも加わって活動していたが、フルートを学ぶためフランスに留学することになり、現在は二人での活動となった。


異色のデュオとして
「ヒデとロザンナ」
がある。


出門ヒデさんは、日活第6期ニューフェースとして俳優としてデビュー。


合わせて歌手活動も続け、作曲家としても才能を表し、
小柳ルミ子
さんに
「星の砂」

森昌子
さんに
「彼岸花」
を提供している。


結腸癌のため47才の若さでこの世を去った。


相方の
ロザンナ
さんは、本名ロザンナ・ザンボンである。


日本でミュージシャンをしていた叔父の勧めで来日。


現在もテレビショッピング番組などで元気な姿を見せている。


また、イタリア出身であるためイタリア料理に造詣が深く、料理番組などでも腕前を披露している。


愛の奇跡 ヒデとロザンナ


ヒット作である
「愛の奇跡」
は当初はB面だったという。


歌謡曲の世界で、日本人とイタリア人のコンビは他に例がない。


子供さんがまだ小学生や中学生でお金も手もかかる時期に旦那さんに先立たれ、習慣も言葉も違う異国の地でずいぶん苦労されたと思う。


一度娘さんをテレビで見たことがあるが、ヒデさんとロザンナさんのいいとこどりをしたような美しい女性だった。


淋しげな 雨に濡れた君の くちびるが 忘れられなくて 別れても 私は信じたい いつの日か あなたに 愛される 愛の奇跡