昭和とは遠きにありて思ふもの

音楽と旅が好きなおっちゃんが、気ままに書いています。

ケーキ屋ケンちゃん

運動会が近づいてきて、近くの小学校では予行演習が行われている。
BEGINのヒット曲「島人ぬ宝」の曲に合わせて太鼓を叩く音と、「いーやーさっさー」の合いの手の声が、噴水のように空に広がって、その水滴がやがて虹を見せてくれたら最高だなあと思う。
だが、残念なことにこの週末の天気予報はあまり良いものではなく、来週には台風18号が日本列島に接近する予報円を描いている。
特に小学生の頃には、同じ学年、いや同じ人類と思えないほど体格差のある場合がある。ただ、一般的には、小学校高学年頃は女の子の方が成長期が早く、逆転現象の時期である。
私が高校の頃、小学校の頃同級生で、その後その子は私立学校に進学したため長らく会うことのなかったのだが、あるときバスターミナルでバッタリ会ったことがある。
お互いに小学生のときのまま記憶が止まっているので、「もっと大柄だったような。」などと思っていたら、向こうから「大きくなったねえ。」と声をかけてきたことを覚えている。
幼稚園や小学校低学年といった子供時代に、自分の周りで働いている子供はいなかった
【放送事故】寺田心が坂上忍にお父さんいないんで・・・


が、
坂上忍
さんは、4才の頃から芸能界で働いていて、しばらく見なかったが、最近大人になって、いわばカムバックとでも言おうか、バラエティ番組など数多くの番組の番組に出演して、フジテレビ系列のお昼の番組「バイキング」ではメインキャスターとして活躍しておられる。


歯に衣着せぬ発言ながらも、筋が通っている部分が多く、また大の犬好きであることもあってか、意外に視聴者に愛されているようだ。


自身が子役タレントであった体験から、芸能スクール・アーティストの発掘・育成プロダクション「アヴァンセ」キッズアクタープロダクションを開校。それと並行でネオモデルタレントスクールの特別講師も担当している


薫と友樹、たまにムック。「マル・マル・モリ・モリ! 2014」薫と友樹の振り付き映像


テレビドラマ
「マルモのおきて」
で有名な
芦田愛菜
さんは、3才から芸能界入りしたが、東京出身ではなく、なんと西宮出身である。


映画「崖の上のポニョ」の歌がブレイクした大橋のぞみさんは、「藤岡藤巻と大橋のぞみ」で『第59回NHK紅白歌合戦』にも出場したが、現在は芸能界を引退して、すでに高校生になったそうである。


「君の名は。」予告


現在「君の名は。」の声優としても活躍中の
神木隆之介
さんは、何と2才から芸能活動を行っている。


その前にもジブリ映画「千と千尋の神隠し」「借りぐらしのアリエッティ」の声優をされている。


出生当初は大病をしており、「助かる確率は1%だったらしい」と本人は語っている。母親が生きている証を残したいと「セントラルグループ・セントラル子供タレント」へ入団させたのが芸能界に入るきっかけである。


子役の場合、どうしても「子役」としての寿命が短い。


次から次へと新人が登場してくる上、本人が成長してしまう。


特に、男の子の場合には「声変り」というものがある。


花は咲く ウィーン少年合唱団


「子役」とは言えないかもしれないが、ウィーン少年合唱団は、声変りまたは14才で退団となる。


音域として、「ソプラノ」と「アルト」の設定しかないためである。


あの透明感のあるコーラスの世界観を守るための厳格な決め事であろう。


私の子供の頃の子役と言えば、何といっても「ケンちゃん」シリーズでお馴染みの宮脇康之さんであろう。
現在は宮脇健の芸名で活動されているが、以前は本名の康之さんで活動されていた。
1961年東京生まれの宮脇さんは、3才のときに山田洋二監督の「運がよけりゃ」でデビュー。

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1967年の「チャコねえちゃん」から宮脇さんはブレイクして、以降「フルーツケンちゃん」までのケンちゃんシリーズに出演した。


「フルーツケンちゃん」のときにはすでに中学三年生となっていたので、次作である「パン屋のケンちゃん」からは岡浩也さんが「二代目ケンちゃん」となる。


「あの人は今」といったコーナーにしばしば登場して、最近は講演会なども開催している。


しかしここまで来るまでに、かなり壮絶な人生を送っている。


テレビでの活躍とは裏腹に家庭の崩壊、兄の自殺未遂、そして保証人になったことによる多額の借金と苦難に満ちた人生である。


子役からの脱却を目的ににっかつロマンポルノに出演したり、吉本興業のチャンバラトリオのひとりであるゆうき哲也さんに弟子入りして、吉本新喜劇に出演したり、


沖縄に移住して地上げ屋を営みながらローカルタレントになったりと激しいものであった。


2004年1月に、自叙伝
『ケンちゃんの101回信じてよかった』
を出版した。


子役としての全盛期である「ケンちゃんシリーズ」の中での宮脇さんは、小さな身体で家業をかいがいしく手伝うというのが大きなテーマとなっていたように思う。


いわゆる「超いい子ちゃん」なのである。


多かれ少なかれ、大人になっていくときには、若さがゆえの反発や、自分だけの秘密を持ちながら成長していくものである。


よく大ヒット役のあとは、イメージチェンジを図ることが非常に難しいと言われる。人生のイメージを作り上げられてしまった宮脇さんが、そのイメージチェンジを図ることがいかに困難であったろう。


特に、子役の将来をどうしていくのかのノウハウがあまりなく、高度成長期の当時の日本においては、テレビの前の「ケンちゃん」は国民の理想の子供として確立してしまった。


事実、私も親から「お前もこんな風な子供になれ。」と冷やかされていた記憶がある。


どうか、今、そして将来登場してくる子役の方々が、一般人と全く同じとはいかないまでも、もう少し平穏に大人になっていっていかないものか。

ビートルズ「ライブ・アット・ザ・ハリウッドボウル」

季節の変わり目は、天候が不安定なことが多い。
雷が「ぴかっ」と光ったと思ったら、「ゴロゴロ」と巨大なリバーブがかかったように空に響き渡る。
夜空を一瞬昼のごとく照らし、巨大なティンパニーのごとく轟かせる。
リバーブエコーとは、ちょうど風呂の中で鼻歌を歌ったときに、心地よい音の余韻を感じるそれだが、それが空いっぱいに広がったような感じである。

ジャイアン ボエボエ


マイクを持ったジャイアンは、それこそ気持ち良さそうに歌っているが、まさに雷のようだ。


雷の音は、ジャイアンの歌声を数万倍にしたようなものか。


雷は、その



との時間差で、遠いか近いかがおぼろげに分かる。


「ぴかっ」と光って「ゴロゴロ」と鳴るまでの時間が長ければ長い程、遠いということになる。


あるとき、夕立が降り始めたので、雨宿りをしていると、例の「ぴかっ」と光って「ゴロゴロ」と鳴っていた光と音の時間差がだんだんと短くなってきて、終いには雷光が「ピかっ」と光ったと同時に「ゴロゴロ」ではなく、巨大なムチが大地に打たれたかのごとく
「バチッ」
という音がした。


雷に対してあそこまでの恐怖感を体験したのは、あのときが初めてであった。


「雨宿り」
はロマンスを生むだけではない。


凍てつく夜もさだまさし 「雨やどり」


さだまさし

さんの
「雨宿り」
がふと頭に浮かぶ。


先日、BSプレミアムの「プレミアムカフェ」という番組で、「東京ドーム」建設のドキュメンタリーが放送されていた。
雨天時には野球が中止になる。
という常識が変わったのは、東京ドームができてからである。
アメリカでは何か所かできていたが、日本では初のドーム球場である。
空気膜構造屋根であるアメリカのメトロドームをモデルとして設計された。
あの丸い屋根は、たった0.8mmの膜でできている。
東京ドームは、単に野球場としてだけでなく、コンサート会場としても大活躍している。
様々なアーティストがコンサートを開いたが、何といっても1988年4月11日に開催された美空ひばりさんのコンサート「不死鳥コンサート」だろう。

美空ひばり  人生一路


何と東京ドームのこけら落とし公演、ミック・ジャガーの来日ステージを見て、音質には不満を持ちながらも歌い切ってみせると宣言したそうである。


重症の肝硬変と大腿骨骨頭壊死で、マスコミは再起不能とまで報じていた。


美空ひばり復活を印象づけるコンサートは、実は命を削ってのパフォーマンスだった。


翌1989年6月伝説となった。


まだドーム球場がなかった時代に、ビートルズが野球場でコンサートを開いたのが、
The Beatles at Shea Stadium


ニューヨークの
シェイスタジアム
でのコンサートであり、この模様を9月22日よりアップル公式作品
『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』
として全国公開されている。


野球場でコンサートを最初に開催したのはビートルズである。


ダイジェストなどは見たことがあるが、全編をぜひ見たいものである。


同じく2016年9月9日にアップル公式作品として発売されたのが
、『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』
である。


これは、もともと1977年5月に
『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』 (The Beatles at the Hollywood Bowl)
として発売されたが、一度廃盤になっている。


BEATLES Live at Hollywood Bowl 1964


今回も1977年版と同様、1964年8月23日と1965年8月30日にロサンゼルスの
ハリウッドボウル
でのコンサートでの収録分がもとになっている。


「ベイビーズインブラック」
などの数曲がボーナストラックとして添えられた。


高校生の頃、このアルバムに心踊らされた自分を思い出す。


あのときは、ただ熱中していた感がある。


興奮していたというべきか。


でも今はゆっくりと、じっくりと聞いてみたい。


あのときには見えなかった何かが見えるかも知れない。