昭和とは遠きにありて思ふもの

音楽と旅が好きなおっちゃんが、気ままに書いています。

BOSE(ボーズ)のスピーカー

私の学生の頃には、たまに大型のラジカセを山手線の車内に持ち込み、大音量で鳴らしている迷惑な輩がいるのを見かけた。
世はディスコブームで、いわゆるバブル期到来の頃だったのだろうか。


伝説的ディスコ「キング・ムー」復活 札幌 (2016/04/30)北海道新聞


でも私は一貧乏学生に過ぎず、その流れに乗ることはほとんど出来なかった。
あの頃、テレビでは学生が投機目的で高級マンションを購入した、などと景気のいい報道をしていたが、今あのときテレビに出演していた学生はどうなっているのだろうと思う。


最近は、大型のラジカセはスマートホンにその姿を変えた。
迷惑な大音響は、「音漏れ」という別の生き物に進化を遂げた。
ラジカセの大音響ほどではないが、始末が悪いのは、「音漏れ」する位だから、周りの音が聞こえないことだ。
完全なる孤独だ。
さらに「メール」や「サイト」の画面を見ながら、である。
大草原の中にひとりでいるわけではない。
「音」という目には見えない壁は、肝心の「音」まではシャットアウトしてくれない。
ひとり「シャカシャカ」しながら、スマホの画面を見ては「ニヤニヤ」したり、メールを打ったり、画面を「ガチョーン」のポーズで広げたりと、なんともせわしない。
もっとも、私の学生の頃にもカセットテープの「ウォークマン」があって、似たようなものだったかもしれない。


音楽を手軽に楽しむにはスマホもいいが、たまには大型のスピーカーで楽しみたいものだ。
最近は、マンションなど共同住宅で暮らすケースが増えて、そこで生まれ育つことは、決して珍しいことではない。
大きな音を出せない、というハンディーがある。
以前、テレビのチャンネルを変えているときに目に入ってきたNHKで放映されている「団地ともお」というアニメを見たときにはちょっとした衝撃を受けた。


TVアニメ「団地ともお」PV


架空のマンモス団地「枝島団地」で暮らす「木下ともお」君を中心に描かれるこのアニメは、特にヒーローという存在はなく、たんたんとした日常を描いている。
おそらく子供向けだとは思うのだが、現代版「小津安二郎」アニメといった感じがする。
昔映画館で見た、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」に近いかなあとも思う。
驚いたのは、「団地ともお」というタイトルである。
「大草原の小さな家」ではなく「団地」である。
「アルプスの少女ハイジ」の背景として印象的に描かれるアルプスの山並みやアルムではなく「団地」である。
私はこのネーミングは素晴らしいと思う。
「団地」と聞くだけでイメージされるものがあるからだ。


マンションなどでは、仮に大型のスピーカーを手に入れたとしても、その能力を十分に堪能できるほどの音量を確保することは難しい。
そもそもスピーカーだけが良ければいいというものではない。
CDやレコードのプレーヤーやアンプなどもスピーカーに見合ったものにしなければならないし、こだわる人は、さらに接続コードまで揃えなければならない。
それでもいいスピーカーの音色は素晴らしい。
以前大阪梅田の「ブルーノート」(現在のビルボードライブ大阪)で聞いたスピーカーの音は格別だった。
単に原音に忠実なだけではなく、音の分離という表現が当たっているのかは分からないが、
楽器の一つ一つが生きているように感じた。
高級品としては、あのビートルズもレコーディングした「アビーロードスタジオ」でも採用されているイギリスの「B&W」やデンマークの「DARI」、アメリカの「JBL」などあるが、近所の喫茶店の天井に据え付けてある、BOSEのスピーカーはコストパフォーマンスが高くて、何とか手に入りそうな価格帯のものもある。


非常に不謹慎なのだが、BOSE(ボーズ)という言葉の響きから、「坊主」「坊主頭」を連想してしまう。
今はもうないと思うが、私が中学生の頃、別の学区で「坊主頭」が校則で指定されているところがあった。
私の通っている学校でも男子の頭髪は「耳に掛かってはダメ」「前髪は眉毛より長くてはダメ」「靴底のラインは二本まで」などと校則はがんじがらめだった。
長髪の歴史は、現代ではやはりビートルズがその発端である。
マッシュルームヘアは、今では可愛らしいイメージだが、当初は革命的だったようだ
ビートルズがドイツ巡業時代に始めたとされ、女の子みたいだと揶揄された。
さらに長髪になっていったときには不良の象徴とされて、その後ヒッピーやロック歌手が取り入れて、反社会や反戦の象徴として、軍人がよくしていたGIカット、いわゆるおしゃれなスポーツ刈りとでも言えばよいか、それに対抗する意味合いもあった。
「ラバーソウル」「レットイットビー」のジャケットを比べると大きな差がある。


結婚しようよ


吉田拓郎さんの歌に「結婚しようよ」がある。
吉田さんの一回目の結婚のときに、軽井沢の「聖パウロカトリック教会」で挙式したことがもとになっている。
幸せ感が溢れた作品である。
この曲を、阿久悠さんは、フォークソングはゲバ棒をギターに持ち替えたと思うほどプロテスト性が強かったが、自分の心情を自由に歌う中で抵抗性は次第に失せていった、その時代を象徴した歌だと述べている。
また、吉田さん自身は「売れる曲を作った。」と述べている。
また、「僕の髪が肩まで伸びて 君と同じになったら」は、抵抗としての長髪ではなく、日常としての長髪という感覚で、また、カントリー&ウェスタン風の軽い雰囲気も受けた。
J-POPの元祖と言われている。

「『いちご白書』をもう一度」というバトン

時間は一瞬たりとて止まることはない。
常に川のように流れ、例えば親・子・孫のように、一人の体の中に、両親の持っている遺伝子というバトンを受け取り、エッセンスを残しつつ、また周りの環境を取り込みながら、新たな人間として生まれてくる。
両親もその祖先から同じように情報を受け取りながら、新しい命として誕生した。
「ニワトリかタマゴか?」の論争の結論を待たずとも、少なくとも、今、私はこの世にいる。
そして、両親からのバトンを受け取っている。
これだけは否定のしようがない。
学生時代に古文で学んだ、方丈記の一節をふと思い出す。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
作者である鴨長明は、当時は京の都の郊外であった、現在の京都市伏見区日野町に一丈四方の狭い庵を建て、そこに隠棲し、その狭い空間の中から時代の風を読み、その時代の証言者となる、「方丈記」を執筆した。
これも非常に重要な、時代のバトンである。

ばんばひろふみ「いちご白書をもう一度」


先日テレビで、ばんばひろふみさんが、懐かしいヒット曲
「『いちご白書』をもう一度」
を熱唱しているのを見た。


「懐かしい」という言葉を使ったのは、私の中高生の頃に聞いていた曲が、最近では「懐メロ」番組で相次いで仲間入りしているという現実がある。


「懐メロ」ではなくて、今も生きている曲だという思いと、それを受け入れなければという思いが複雑に自分の中に内在して葛藤しているからだ。


私のリアルタイムはすでに「懐メロ」か、との思いを感じることが増えてきたからだ。
最近のばんばさんは、オリジナルキーから少しキーを下げて歌っているようだ。
カラオケでこの曲をオリジナルキーで歌おうとすると、意外にキーが高い。
でも、ばんばさんの曲は
「SACHIKO」
とともに私の青春時代を彩る一曲となっている。
最初にこの曲を聞いたときは、単に


昔「いちご白書」という映画があって、二人で観に行ったね。
あのときの映画をまたやるよ。
僕は就職が決まって、長かった髪を切ってルーキーになったんだ。
もう少年じゃないから、現実を見なくちゃね。
映画のポスターは、風雨にさらされて破れかけてるね。
なんだか時間の流れを感じるね。


といった表面上の解釈しか出来なかったのに、当時は分かったつもりで自己満足していた。
私の一世代前の方でなければ本当には分からないかも知れない。
そもそも「いちご白書」とはなんだろう。
アメリカ人作家ジェームス・クネンによるノンフィクション作品で、コロンビア大学での学生運動の体験がもとになっている。
当時の学部長ハーバート・ディーン「大学の運営に関する学生の意見は、単に学生たちがいちごの味が好きかどうかというくらいの取るに足らないものだ。」という発言に由来する。
学生運動は日本にも飛び火した。
日本でも学生運動は、大正デモクラシーの頃にはその萌芽があり、さらに遡ると学生運動ではないが、江戸時代末期の「ええじゃないか」もそうかも知れない。
学生集会へも参加した当時の学生が、就職という人生の一大転機を迎えたときの心の葛藤をおもんばかると、多くの方は、心の片隅にその思いをしまい込んで就職していったことだろう。
「もう若くないさ」という歌詞の中に、全てがあるような気がする。
最初に映画を見たときから、それほど時間が経っていなくても、自分や時代や周りの環境が変わって、再び同じ映画を見るときの、過去の自分との違和感や、あるいは心にしまい込んだあのときの熱情を思うと、「また観たい」と考えるだろうか、それとも「止めとこう」と思うだろうか。
学生運動そのものは下火になっているが、この歌が音楽に乗せて、その時代を伝えてい
【NHKリオ】ノーカットで400mリレー決勝! アジアの短距離史上 最速の走りを目撃せよ


る。


バトンは渡された。


その時代を実際に学生として生きた人でなければ、パッとは分からないかも知れないが、時代の証言者として、連綿と歌い継がれている。


河村隆一
さんや、
五木ひろし
さん、
内山田洋とクールファイブ
など多くの方がカバーしている。


ちなみにこの曲を手掛けたユーミンは、学生時代に青山学院大学の生徒と付き合っていて、青学から渋谷まで歩いた思い出がもとになっていると語っている。


ユーミンの曲の中で、学生時代の思い出をつづった曲には、他に
「卒業写真」「あの頃のまま」
などがあり、いずれも歌い継がれる名曲である。
荒井由実 + ハイファイセット - 卒業写真