昭和とは遠きにありて思ふもの

音楽と旅が好きなおっちゃんが、気ままに書いています。

ピンキーとキラーズ

すっかり蝉しぐれは聞こえなくなった。
学校のプールは、9月頃になるとだんだん使われなくなる。
子供たちの黄色い声が去ったプールは、水が淀み、やがて藻が生え、枯れ葉などのゴミが浮き、次の夏まで長い眠りの時を迎える。
子供たちは、日焼け跡を手土産にして、次の季節を迎えに行く。
吉田拓郎さんの「夏休み」を思い出す。
『夏休み』吉田拓郎  姉さん先生 もういない・・・


麦わら帽子はもう消えた
田んぼの蛙ももう消えた
それでも待ってる夏休み


この曲は、拓郎さんが幼少期を過ごした鹿児島での実体験がもとになっている。
夏の残り香は、消えたかに見えても、少しずつ姿を変えて、土中に染み込み、いつしか花をつけることがある。
子供の頃に身に着けていた「ベルボトム」は、少し変化して最近再び花開いた。
俗に「ラッパズボン」と呼んでいたこのズボンの形は、当時は最先端だった。
「ベルボトム」と言えば、何といってもエルビス・プレスリーだろう。

Elvis Presley Suspicious Minds Live in Las Vegas


子供の頃、全盛期を過ぎて少し太ってはいたものの、テレビでたまにコンサートの模様を見ていた。


パンツはもとより、胸元の大きく開いたジャケットの袖には、縄のれんのように装飾がぶら下がり、パンツと同様にベル型に大きく広がったにその袖は、形を変えた振袖のように見えた。


一時期西城秀樹さんも、これに似た衣装を身に着けているのを見たことがある。


その「ベルボトム」が、今再び流行している。


いや流行している、というよりたくさんあるファッションアイテムのひとつとして定着しているのだ。


昔のように猫も杓子も、ということではなく自然にチョイスされている。


そういえば、昔は「ワル」の代表のような髪型だった
「モヒカン」
も、深く刈り上げず、頭頂部を少し盛り上げた
「ソフトモヒカン」
なるものが、サラリーマンにも普通に浸透している。


現在では、まさに「人は見かけによらない」ということになるのだろうか。


電車の中で、座席に座っていたいかにもイカツイ若者が、シュッと立ち上がり、老人に席を譲っているのを見たときには、妙にほほえましい印象を受けたのを覚えている。


音楽も、少しずつ姿を変えながらも、そのエッセンスをうまく生かして、新しいものが次々と生まれてくる。


グループサウンズのギターのシャリシャリ感を残しつつ、上質なポップスに仕上げた曲として、ピンキーとキラーズの
「恋の季節」
がある。
Сезон любви(恋の季節)- Pinky & Killers


忘れられないの あのひとが好きよ
青いシャツ着てさ 海を見てたわ


何といっても、全員が山高帽をかぶり、今陽子さん以外は全員男性でひげを蓄えており、少々イカツイ感じがする男性たちの真ん中に立ち、けなげに歌う今さんが印象的だった。
今さんの暴言により解散したとされるが、現在は当時の自分の若さを謝罪して関係は修復され、ディナーショーなどで活躍中である。
ジャンルは少しずつ混じり合い、新たな花を着け実を結ぶ。
その代表が、特に濃い演歌を歌う印象の強い森進一さんである。
数多くあるヒット曲の中で「冬のリヴィエラ」は大瀧詠一さん、「襟裳岬」は吉田拓郎さ
森進一 - 冬のリヴィエラ


んの手による作品である。


本人も、演歌の枠にはとらわれたくないとして、流行歌手であると公言している。


「鯉(恋)の季節」は5月まで
、と言われ続けた
広島東洋カープ
は四半世紀ぶりに優勝を遂げた。


鯉のぼりを片付けるころには失速してしまっていた。


今年は片付け忘れたのかな。


でも、広島ファンが東京ドームを真っ赤に染め上げる、という夢が現実のものとなった。


一ファンとして素直に喜びたい。
【それ行けカープ2015年Ver.】 みんなで歌おう!広島カープ応援歌 in マツダスタジアム


カープ カープ カープ 広島 広島カープ
空を泳げと 天もまた胸を開く
今日のこの時を 確かに戦い
はるかに高く はるかに高く 栄光の旗を立てよ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ

♪「初恋」は「ロマンスカー」に乗せて

私の10代の頃は、フォークブーム真っ只中にあった。
その昔「テレビジョッキー」という番組があって、「白いギター」をプレゼントするほどであった。
チェリッシュの曲に「白いギター」というのもあった。
白いギター チェリッシュ



白いギターに変えたのは
何かわけでもあるのでしょうか


あの当時、白いギターは爽やかさをイメージさせたのだろう。
猫も杓子もとりあえずギターを手にしたものの、多くの人が「F」や「B♭」というコードの指使いで挫折してしまう。
6本の弦をすべて人差し指で押さえているつもりなのに、どれかの音がかすれてしまう。
私が初めてギターを買ったのは、街の質屋に置かれていたもので、確か3000円位だったと記憶している。
学生の頃、福井県出身の友達がいて、福井では冬に雷が落ちる、ということを聞いた。
瀬戸内海に面した、比較的温暖な地域に育った私にとっては、まさに寝耳に水だった。
アリス「冬の稲妻」という曲がある。
Alice - 冬の稲妻


あなたは稲妻のように
私の心を引き裂いた
蒼ざめた心ふるわせて
立ちつくす一人立ちつくす


アリスの曲の多くは、フォークギターの力強いカッティングが小気味よい。
やがて谷村新司さんと堀内孝雄さんは、フォークというカテゴリーを飛び越えて、歌謡曲の分野でもその実力を遺憾なく発揮している。
そのサウンドを支えていたのは、ドラムスの矢沢透さんだと私は思っている。
もともとは、渡辺プロに所属するドラマーで、ザ・ピーナッツ布施明さんのバックで演奏していたが、ツアー中に谷村さんと意気投合し、デビュー当時の低迷期には運送費を浮かせるために、ドラムセットをコンガに変えて演奏していたという。
また、アリスの曲の大半は矢沢さんの編曲である。
テレビ番組のインタビューなどでの、少し「ナヨッ」としたイメージとはうらはらに、非常に力強いドラミングが魅力だ。
ギター小僧にとって、憧れの腕前を持っていたのは村下孝蔵さんである。
テレビで見た「踊り子」の弾き語りには度肝を抜かれた。

踊り子


あれだけ複雑な演奏をしながら、同時に演奏につられることなく平然と歌う、ということがなぜできるんだろうと思ったものだ。


コンサートでよく披露していた
「ひとりベンチャーズ」
は絶品である。


村下孝蔵 caravan


スネアドラムの音をギターの弦で再現する、という離れ業をやってのけた。


村下さんの地元、水俣市には
「初恋通り」
と名付けられた商店街がある。


その名の由来となった大ヒット曲
「初恋」
は、村下さんの中学校時代の初恋の思い出がもとになっている。


やがて、レコードセールスが落ち込みを見せ始め、渾身の作品として発売した
「ロマンスカー」
は本人の意気込みとはうらはらにあまり売れず、時代が変わったと思ったという。


しかし、今聞き返してみても村下さんの楽曲は名作揃いである。


1999年、46才の若さでこの世を去った。


本人は「ロマンスカー」がお気に入りで、葬儀の際にもこの曲が流された。
ロマンスカ-/村下孝蔵 photo 〖土屋太鳳〗


君の好きなロマンスカーは
二人の日々を駆け抜け
夢がにじむ遠い夜空に
名もない星が流れた
君はいない